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比較優位という原理の問題点
(出典「photoAC」)
ただこの比較優位という原理は、問題点も抱えていると考えられます。
この考え方はリカードという経済学者が作り出したものですが、
1800年代の前半に出版された本で書かれたものになります。
その時代は西洋列強が植民地を広げた時代で、この比較優位という考えによって、
自国と植民地で分業を図ることが進められてきたと考えられます。
そこでは分業によって生産性を高めることで、現在のように競争が激しくはなかった時代に、
他の国に生産したモノを売ることができた時代だったと想像されます
要するに生産効率を上げただけ、消費が増えることが前提だったと考えられます。
消費が増えない場合には比較優位の考え方で、
分業を進めて起こることはモノがあふれて値段が下がること、
つまりデフレが起こることになります。
デフレになり利益が出にくくなれば、それだけ失業する人が増えると考えられます。
そういう意味で、生産性を拡大した分だけ消費が伸びる時には、
比較優位の原理は活用できる原理だと考えられますが、
そうでない場合には、デフレやデフレから失業が発生すると考えられます。
この「比較優位」という考え方は、増えた生産量の分だけ、
消費が伸びることが前提となっている原理だと考えられますし、
この考えが生まれた時代背景から考えると、
植民地が増えていた時代には有効だった考え方だったと考えられます。
そのことで一部の国はモノカルチャー経済と言われる、
一つのモノを作ることを余儀なくされた印象もあります。
経済のグローバル化と政治の関係
(出典「photoAC」)
また個人的には、グローバル化で分業を進めたとしても、
国家や政治はグローバル化することは考えにくいと思います。
また外交の世界では、それぞれの国は自分の国の権利を声高に主張することもあります。
そうした中で、世界的に分業を推し進めていけば、
世界の経済としては生産性が高くなったとしても、
例えば日本のようにそもそも国土が狭く、平地が少ない土地では農業の効率性が悪いからと、
食料を生産するのに適した、広大な土地がある国で食料を生産することになれば、
食料という日々の生活に欠かせないものを、他の国に握られることになってしまいます。
前の戦争では石油を止められたことが、日本が戦争をせざるを得なくなった原因の一つでしたが、
食料を他の国に握られた時には、食糧不足になった時には高い値段で買わされたり、
そうしたことを防ぐために、その国の言うことを何でも聞かなければならない状況になることも考えられます。
それは国の経済の形として、自立した姿とは言えないと考えられますし、
そう考えると比較優位の考え方で、世界的な分業を推し進めるだけでなく、
それぞれの国の中では、農業などの第一次産業からサービス業などの第三次産業まで、
幅広く多様な産業が育まれていることが望ましいと考えられます。
終わりに
比較優位という考えは、消費が伸びない限りは、
生産性を高めたとしてもデフレや失業が生み出されることもあると考えられますが、
その時点でモノが安くなりますので、一定程度は余裕がある人が生まれることも考えられます。
そうした余裕のある人たちが、新たなモノやサービスを消費するようになれば、
失業した人たちはそうしたモノ作りの現場や、サービスを提供する現場で働けることが考えられ、
そうした形で第一次産業から第三次産業へと、経済発展してきた部分はあると考えられます。
ですので、これまで使っていなかった新しいモノや、
これまでには無かったサービスを生み出すことが求められていると考えられます。
特にグローバル化では、モノの生産拠点は海外に移動しますが、
国内の娯楽やレジャーなどのサービス業は、海外にサービスを展開することはあったとしても、
サービスを提供する場そのものを、海外に移転することはないと考えられます。
そこで先進国では、この分野を発達させることが重要になると考えられますが、
多くの人たちが国内での娯楽やレジャーを楽しんでもらうためには、
格差の縮小や、生産性を高めることにより、労働時間を短縮することも、
求められていることかもしれません。
どちらも娯楽やレジャーを楽しんでもらう消費者を増やすことになりますが、
格差の縮小については、政治的な問題かもしれませんが、
生産性を高めて労働時間を短縮することは、
私たちが仕事に真摯に向き合うことで、実現する以外に方法はないと考えられます。