経済学はその時代の処方箋(しょほうせん)と言われます。
その時代によって新たな経済学が生み出されてきましたし、
資本主義と社会主義の対立は終わったと言われますが、
リーマンショックで不景気になり、派遣切りが起こると社会主義が注目されたこともあります。
ここではマルクスの社会主義に注目します。
かなり長くなっていますが、最後まで読んでいただければと思います。
目次(複数ページに分かれた記事もあります)
社会主義の代表格 マルクスが生きていた時代
(出典「イラストAC」)
マルクスは、プロイセン(現在のドイツ)に生まれ、
1818年~1883年の間に、その生涯を生きた人です。
1789年に起こったフランス革命はナポレオンの登場を促し、
その後、ヨーロッパはナポレオンとの戦争の後で、
「ウィーン体制」と呼ばれる政治体制を作り上げました。
これは革命前の絶対王政に戻し、その体制を維持しようとするもので、
この頃に広がりを見せていた自由主義や国民主義は抑圧されていましたが、
1848年にはヨーロッパ各地で革命が起こり、このウィーン体制を崩壊させるに至ります。
一方、プロイセンは1866年にオーストラリアとの戦争に勝ち
1870年にはフランスとの戦争に勝ち、
1871年にはドイツ帝国が誕生するに至ります。
また定期的に社会全体が不況に陥ってしまう恐慌が起こっていました。
彼は、そんな時代を背景に生きていた人になります。
当時の労働問題をうかがわせる工場法
この頃には、労働者の生活環境も悪化し、労働問題が起こっていました。
そうした労働問題に対して、イギリスでは1819年に「工場法」が制定されています。
この工場法により、9歳以下の児童の雇用の禁止や
9歳~16歳の労働時間が12時間に制限されました。
逆に言えば、9歳以下の児童が働かされていたこと、
また児童の労働時間が長かったこともうかがえます。
社会主義と共産主義の違いとマルクスの社会主義運動への関与
社会主義と共産主義には違いがあり、
「社会主義」は、資本主義社会の中で革命を起こし格差を無くし、
恐慌が起こらないように計画的に経済を進めることで、
誰もが「労働に応じた」正当な分け前をもらえるようになる、といった段階で、
さらに社会主義が進み、「共産主義」に発展すると、
誰もが「必要に応じて」分け前をもらえることができるほど豊かになるので、
争いもなくなり、国家という枠組みも無くなってしまう、という状態のことを指します。
社会主義は現実の世界で、その先に理想とする共産主義の世界がある、という言われ方をします。
マルクスは1867年に「資本論」を発表しますが、
その中でも、資本主義を完全に悪いものだと言っているわけではありませんが、
当時の状況を憂(うれ)い、社会主義を主張することになります。
「社会主義」という考え自体も、彼以前から存在はしていましたが、
マルクスは彼以前の社会主義の思想には、その実現性に対して疑問を投げかけ、
まず資本主義に対する分析をはじめ、そこから社会主義の社会をどう実現できるかを分析したことから、
自分たちの掲げる社会主義思想を「科学的社会主義」(または共産主義)と主張していました。
1848年にヨーロッパで革命が起こった年に、マルクスは「共産党宣言」を発表しますが、
プロセインでは革命が失敗に終わり、パリやロンドンなどで亡命生活を送ることになります。
その後1864年には、労働組合の世界的な連帯組織にあたる
「第1インターナショナル」が結成され、この運動にも参加しています。